あぁ~、勘違いと欧米(化)か!

本日もこのページに来てくれはりまして、まいどおおきに!です。

ちょっとした勘違いで大きく何かが変わり仲違いなんて事はようありまんなあ。

そこで今回はそんな勘違いから常識が変わった黒色の話をさせてもらいます。

冒頭から唐突なんなんですが、お葬式の知らせはたいがい突然飛び込んでくるもん。慌てて、洋服ダンスをかき混ぜ、喪服を探すなんてことはおまへんか? 初めから縁起でもない!と怒られそうですが、まあまあそう言わんと今回も損はさせまへんさかいに、最後まで付き合うて下さい!

その喪服の色といえば、「黒!」でっしゃろ?今ではこの黒というのが常識であり、誰もが当然のしきたりのように思ってはりますが、このように黒が定番色となったのは明治以降のことなのですわ。皆さん知ってはりましたか?

欧州化政策の影響で、欧米の喪の色が黒だったことから、日本もそれに習い黒が喪の色とされ、大正期以降に普及していきましてん。

 それでは、黒が普及するまでの日本での喪服の色は何色かというと、そもそも「日本書紀」などの古代の文献によりますと、当時の喪服は白であったという記録が残ってまんねん。これは、朝鮮半島や中国の影響を受けたとされてまんねんけど、奈良時代、718年に養老喪葬令が出され、「天皇は直系二親等以上の喪には『錫紵(しゃくじょ)』を着る」と定められたのがきっかけやそうですわ。当時の注釈書によりますと、「錫紵(しゃくじゅ)」とは「いわゆる墨染めの色」のこと。これは中国の『唐書』に「皇帝が喪服として『錫衰(しゃくさい)』を着る」と書いてあり、この中国の制度を真似して定めたものと考えられてまんねん。ところが、実はここで大きな勘違いがおましてな、唐でいう「錫(しゃく)」とは、灰汁処理した目の細かい麻布のことで、それは白い布のことなんですわ。しかしどういうわけか日本人はこれを金属のスズと解釈し、スズ色、つまり薄墨に染めてしもうて、黒になってしまったんですわ。まさに歴史的なとんだ勘違いでんな。その勘違いにより黒になり、室町時代にまた再び白が復活しますねん。その理由はまだ解明されてまへんが、平安時代以降、黒の喪服を着用していたのは上流階級だけで、庶民は一貫して白のままやったのではないかと服飾史学者の増田美子さん(参考物件『日本喪服史 古代篇-葬送儀礼と装い』より)は推測されていますねん。そして江戸時代まで白い喪服は引き継がれていましたが、明治維新の時にイギリスの喪服制度を取り入れたため、また再び黒に戻ったようですわ。

 そう考えると、歴史的な「勘違い」と、明治維新後の欧米文化の影響がなければ、日本の歴史の中では、「喪服は白」が主流やったと思いますねん。一般庶民が喪服に黒を着用するのは、第二次世界大戦中から戦死者を送る葬儀が多くなって、喪服の需要が増えて、貸衣装店は汚れやすい白ではなく汚れが目立たへん黒を揃えるようになりましてん。手入れのしやすさや、欧米諸国の影響もあり、戦後は急速に黒い喪服が広まり、現在に至る……と、喪服の色は、白から黒、そして再び白を経て現在の黒い喪服にたどりついたんですわ。その歴史にはまさに目をシロクロするほど変化があったというわけでんな。でんでん。

本日も最後までお付き合いしてもうて、まいどおおきに!